寒くなってきたからかな?
精神的に疲れたり病んだりしてる人が増えてる気がするんだ。
俺ってこう見えてちょこちょこ相談される人間なんだよ。
正直俺みたいなのに相談してどうすんだって思うんだけどさ、最近そんな相談が増えてるんだよ。
俺はダメな奴だとか私は最低ですとかもっと重たぁ〜いのとか。
でね、そういうのを聞いていつも思うんだよ。
みんな幸せになりたいんだって。
そりゃそうだよね。
誰だって不幸になりたいなんて思わないし辛い想いはしたくない。
だからそうやって相談してくれる奴等を幸せにしてやりたいとか思ったりするんだけど、多分俺はそんなたいそうな事ができる人間じゃないから応援することにしてる。
それも何でかは後で話そうと思うよ。
でね、相談された時には俺の考えだったりとか哲学を話すようにしてるんだ。
あくまでも俺の考えだけどねって。
そんで今日はそんな話をしようかなって思うんだ。
すげぇ長くなりそうだし文字で伝わるかどうかも怪しいから訳わかんなくなったら読むのやめてくれ。
さて本題↓↓↓
誰だって幸せになりたい。
自分が想い描く理想ってのになりたいんだ。
その理想ってのと今の自分との間に大きな開きを感じた時に人は自分はダメな奴だとか不幸だとかそういう自己嫌悪に襲われたりして自信を失う。
でもそこで自分をダメだと決め付けたり嫌ったりする必要は無いんだよね。
どんなけ理想とのギャップがあろうが、自分を卑下する必要はないんだ。
そもそも理想なんてものは常に同じではなくて、自分の成長と共に成長していくものだよね。
だから理想にはずっと追いつかない。
それでいつかふと気付くんだよ。
今の自分はあの頃の理想だって。
わかるよね?
みんなたくさんの理想っていう夢をたくさん叶えてるんだって。
だから幸せじゃないなんてのは言ってみりゃ贅沢発言なんだよ。
これを完全に理解したとしても自分は不幸だと思うのならそれは自分が不幸を選んでるとしか言えなくなっちゃうよね。
それともう一つの要因は他人との比較。
でもこればっかりは人は人、自分は自分とありきたりな言葉で終わらすしかないんだけどさ。
とにかく。
自分が不幸か、自分が幸せか。
それを選ぶのは自分です。
人間は誰もが自由なんだよ。
哲学者のサルトルも言ってたけど、
「人間は自由であるように呪われている。」
この言葉でサルトルがいいたいのは何をやってもいいとかそんな自由を言ってるんじゃなくて、例えばチャンスというものを活かすのか殺すのか、どちらを選択するかは自由なんだと。
人間は自由だからこそ選択しなきゃいけないんだ。
そしてその選択するということからは逃れられないんだよ。
で、選択するということから逃れられないから自由なんだ。
誰しも自由なんです。
今から何がしたい?
なんでもいいよ。
例えば海外旅行に行きたい。
でも今日は仕事中だしお金も無い。
明日も仕事だから海外旅行なんて出来ない。
現実的に考えたらこうなるよね。
仕事は休めないし海外旅行はお金かかるから行ったとしてもその後が不安になるもんね。
だけど絶対無理な訳じゃないよね?
仕事だって休めないじゃなくて休まない。
お金だって無いとか使えないんじゃなくて使わない。
海外旅行も行けないんじゃなくて行かない。
どれも色々な考えの上で自分が選択したことだよね。
だから出来ないなんてのは無くてただ、しないんだ。
それを選んでるんだ。
幸せであることも不幸であることも全部自分が選択してるんだよ。
決断するのはいつだって自分なんだよ。
初めの方で言った俺が応援する事にしてるってのはこの為。
俺がこうしなさいなんていえないからね。
それでね、
自分は不幸だと思ってる人と自分は幸せだと思ってる人の違いは何かって話。
人間は何をするにも必ず理由ってのが必要なんだ。
そしてその理由ってのを無意識に探してるんだ。
理由無く何かをしたりってのは無いんだよ。
理由無く◯◯◯したよ。
って言う人がいるけどそれは理由が無いんじゃなくて自分でも気付いてないだけ。
後からその理由に気付く事もあるしね。
有名な登山家が何故山に登るのかと聞かれて、そこに山があるからと答えたのは知ってるよね?
はたから見たらなんだよ理由無いのか?
とか思った人もいたんだけど、その登山家にとって山があるって理由だけで充分だったんだね。
そんな感じで必ず理由ってのが必要なんだ。
それが「不幸であること」にも必要なんだ。
だから自分の事を不幸だと思ってる人は無意識に自分が不幸である理由を探してるんだ。
家庭問題や人間関係、自分の能力、コンプレックスと呼ばれるものが大半だと思う。
それに上乗せするように日常生活の中で不幸である理由を探してしまってるんだ。
でもね、
日常生活の中には幸せなことばっかでもないけどそんな不幸なことばっかじゃないんだよ。
大事なのは考え方。
これは絶対的に大事なものなんだ。
不幸だと思うことでも考え方次第で幸せにも変わるんだよ。
例えば幼い頃から親にボコボコに殴られて、そんなバイオレンスな家庭で育った男がいるんだ。
彼はそれで自分は不幸だと思ってた。
この人を愛せない性格も育った環境が理由なんだと。
でも彼がある時気付いたんだよ。
そんな過去があるから普通の家庭に人一倍幸せを感じれるんだ。
俺は自分が不幸であることも人を愛せないのも全部育った環境を言い訳にしてたんだ。
って言ってた。
理由ってのは時に言い訳とも取れるんだけど、ようするに彼は考え方を変えたんだね。
「幸せであること」の理由を探して見つけはじめたんだ。
だから彼は何か辛い事があっても自分を不幸だとは言わなくなったんだよ。
そこにはここで書ききれない程の理由があるんだろうけどね。
考え方。
ほんとに大事なんだ。
不幸であるにも幸せであるにも理由が必要。
その理由なんてものは考え方によって作れるもんなんだよ。
それに上で話した彼が悲惨な家庭から幸せを見つけたように、不幸からも幸せは生まれるんだよ。
さぁ、
どうする?
不幸でありたいか、それとも幸せでありたいか。
どっちの理由を探す?
どんな考え方で生きていく?
・
・
・
・
すんごく長くなっちゃったね。
どうしよ。
やっぱ伝えきれないからやめとくよ(ノ∀`)σぷっ
でも最後に一言だけ言っておこうと思うんだけどさ。
よく考えて聞いてくれよ。
どんな事があろうが
何を言われようが
真実がどうだろうが
そんなものは重要じゃない
大事なのはどう考えどうとらえるかだ
それ次第で幸せにも不幸にもなれる
あくまでも俺の考えだけどね。